「炭鉱のおかげで電気代もタダ。夕張には東京にあるものすべてがあった」
―『追跡・「夕張」問題』北海道新聞取材班、2009、講談社文庫
今では耳を疑ってしまいますが、今から56年前の1960年、北海道夕張市の人口は116,908人で、「炭都」と呼ばれていました。
しかし、まちの産業を支えていた炭鉱のすべてが閉山した1990年には、人口は20,969人にまで減少し、2006年の財政破綻を経て、2016年現在の人口は、8,845人と1万人を割り込んでいます。
最盛期に比べると現在の人口は13分の1以下で、高齢化率は全国で最も高い約50%という状況になっています。
財政破綻から10年が経った今、夕張市を訪ねました。
夕張訪問にあたり、明らかにしたいことは2つありました。
1つ目は夕張市が破綻した原因は何か、財政破綻に対する責任は誰にあるのかということ。
2つ目は、財政が破綻すると自治体はどうなってしまうのかということです。
夕張市が破綻した原因から見ていきましょう。
夕張市が財政破綻した原因は何か?
夕張市が「ジャンプ方式※」という会計上の粉飾行為によって負債を積み重ねたことはよく説明されるところです。ではなぜ、そのような粉飾行為に走ることになってしまったのか。
※ジャンプ方式とは、去年の借金を今年の借金で埋め合わせる粉飾(会計期間を超えた帳尻合わせ)行為
それは、夕張市特有の劇的な環境変化に加え、民主的な統制が働かなかったことにあると考えられます。まず、劇的な環境変化とは、冒頭で触れた炭鉱の閉山です。炭鉱の町であった夕張では、電気、ガス、水道、道路など炭鉱周りの生活インフラの大部分を炭鉱会社が供給していました。
そして、国のエネルギー政策が石炭から石油に移り、炭鉱がすべて閉山したことによって市は基幹産業を失い、市民は炭鉱会社が「保障していた生活」を失う危機に直面したのです。エネルギー政策の転換に加えて、炭鉱の事故が発生し、多数の死者を出したことが閉山を早め、劇的な環境変化をもたらしました。
夕張市は住民の生活を守るために、炭鉱会社の財産を買い取ることを決断します。炭鉱が1つ閉山すると1万人の人口が流出するとされますが、夕張市は人口流出に合わせて、まちをダウンサイジングするという方向ではなく、「人口流出を防ぐ」という方向に舵をきりました。これが一つの分岐点であったと考えられます。
炭鉱会社の財産を引き受けたことで、施設の維持管理等に係る歳出が継続的に膨らむこととなり、市はそれに見合う歳入を確保しなければならなくなりました。
そこで、当時の中田鉄治市長は、「炭鉱から観光へ」をスローガンに掲げ、石炭の歴史村(石炭博物館、SL館、水上レストランなどを含む)やメロンブランデー醸造研究所の建設など、次々と観光地化のアイデアを実行に移していったのです。民間企業もこれに乗じ、大型のホテルを建設しました。山岳鉄道の建設構想を提示する企業さえあったと言います。
「石炭の歴史村」の予算だけで、当時の一般会計予算の半分にあたる規模でした。中田市長がこのような大胆な政策を打ち出した背景には、これまで夕張は国策で石炭を掘ってきた経緯があったため、「最後は国が面倒を見てくれる。自治体は倒産しない。」という思いがあったようです。
すべては、まちを存続させるため、住民の生活を維持するために行われました。
バブル崩壊により、風向きが変わると、民間企業は撤退。その企業が所有していたホテルとスキー場を市が買い取ることになりました。当然、市の財政は悪化。その後、観光政策も振るわず、夕張市は多額の負債を背負うことになったのです。
以上のことから、夕張が破綻した主要因を中田市長の市政運営に負わせることも可能です。しかし、中田市長だけでなく市役所組織、市議会、それから国、北海道、銀行、市民にも同様に大きな責任があると私は思います。
これは「みんな」に責任があると言っているのと同じであり、なんともすっきりしないと思われるかもしれません。しかし、突き詰めていくと「みんなが人任せ」にしていたから、財政破綻に陥ったことが分かります。これは、「自治」が機能していなかったということでもあります。
国は当時、市の観光への政策転換を推奨し、補助金を交付するだけでなく、成功事例として夕張を取り上げました。同様に炭鉱の閉鎖に直面する他地域の先導役を夕張に求めていたのでしょう。しかし、観光事業がうまくいかなくなると、国は梯子をはずし、その結果夕張市はさらに負債を重ねることになります。
夕張市は財政再建団体になると、つまり財政破綻をすると、市の自由が奪われることを恐れ、資金を銀行から調達し、粉飾決算により会計書類を黒字に見せかけました。これにより、何年も財政破綻が先延ばしにされたのです。
国と道はそれを黙認します。資金の貸し手である銀行は倒産しない自治体の制度に甘え、審査をせずに融資を続けました。この制度的な「担保」がなければ銀行は決してお金を貸さなかったと考えられます。
市議会はその状況を追及できず、市民は炭鉱会社に「お任せ」するのと同じように、市に生活を「お任せ」し、6度も中田市長を選挙で当選させました。これは、夕張市民が不勉強だからではなく、炭鉱の町がつくった体質かもしれません。
また、数々の箱物が建設される中、積極的な異議は唱えられず、むしろ観光事業者が撤退する際には、スキー場とホテルの存続を願う署名が、市の人口を上回る1万5千人分も集まりました。
結果として、市議会は買い取りを容認し、スキー場とホテルを市が購入することになったのです。
根底には夕張を衰退させてはいけない、「炭鉱で賑わったまちをもう一度」という共通の想いがあったと推測できます。
誰もが夕張市を衰退させてはいけない。と働き、夕張市は破綻したのです。
この結果は、自己責任かもしれません。しかし、現在の自治体の状況を見るとき、だれが夕張を責められるでしょうか。
どれだけの市民が市の財政状況をチェックしているでしょうか。
どれだけの議員が財政問題について厳しく追及できているでしょうか。
そして、どれだけの役所が市民に対して、分かりやすく情報を伝えられているでしょうか。
「夕張」は決して他人事ではない
国に直接的に依存する原発等施設の立地自治体があります。一つの産業に依存する自治体も少なくありません。また、ほぼすべての自治体は地方交付税という形で、借金まみれの国に依存しているのです。
その「産業」が傾いたとき、環境は劇的に変化し、自治体からは人が流出し、それを食い止めるために役所による政策が発動されるのです。この状況はもう始まっているのかもしれません。
自治体だけでなく、国レベルでも同じことが言えます。
役所がうまくやってくれるだろうと、役所の自律性に「お任せ」することは、問題解決にはつながりません。間違いなく状況を悪化させます。
当時、借金の存在を知っていた元市役所幹部のお話を伺いましたが「なかなか市長がそういう方針で行くとなると、その仕事を成し遂げるために動かざるを得なかった。これでいいのか、と思いながらも、銀行回りをして運用するためのお金をいかに持ってくるかということだけだった」とおっしゃっていました。
私も役所に勤めた経験があります。これが役所のリアルです。
まとめると、夕張の破綻を防ぐためには、市民や議会が民主的な統制を働かせ、「夕張のために働く」市長や役所を止める他なかったということです。
ただし、夕張が炭鉱の町であったことや、劇的な環境変化に直面する中で、それができたかは、難しいところです。
後編では、財政破綻した自治体はどうなってしまうのかを、自治や議会の現状に注目してみていきたいと思います。
(後編へ続く)
●加藤俊介(かとう しゅんすけ)
一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 理事
1985年生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒、東京大学公共政策大学院修了。県庁勤務を経て、現在は大手監査法人のコンサルタントとして、自治体の支援を行っている。また、地域活動として私設図書館の設立や地方議員の政策スタッフの経験、タンザニアでのボランティア経験がある。